夢みる女の日常

日本人離れした生き方をしている女性の日々の出来事

長寿と寿命

母が最近入院した。母は今まで何度も入退院を繰り返していたので、弟から連絡があってもそれほど重要に捉えていなかった。しかし連絡のあった翌日に病院に行き、担当医より病状を聞くと、前日運ばれた時の症状は重篤で、あのまま亡くなってもおかしくない状況だったと聞いて愕然とした。前々回入院したときも連絡してきた弟に危ないと言われて、夜からICUにいる母を見舞ったが、母は私が来ると昏睡状態のようだったのに、急に目を覚まし、「ごめんね、また迷惑をかけてと」ほんの一瞬だが目を覚まし、私に話してくれた。それでこのまま亡くなってしまうと思っていた私は母と死ぬ間際に会話出来たので、思い残すことはないと胸をなで下ろした。あのまま意識が戻らないで逝ってしまったら、つらいと思うからだ。しかし翌日再び病室を訪ねると母の病状は回復していることがわかった。なので、弟が母の病状を勘違いして私にオーバーに伝えたのだと思ったが、今考えるとその時も運ばれた時は危ない状況だったのかもしれない。今回は医師から直接話を聞き、血圧も下がっていたので大変危険な状態だったと言われた。しかし、抗生剤を投与した点滴が功を奏し、母は一週間立たないうちに病院食を食べられるようになった。私の母はこれまで何度も入退院を繰り返したが、いつも薬が効いて回復しているのだけれど、実は軽い病気ではない、感染症から敗血症という命に関わる病気になるのだが、点滴やらの薬が効いて今のところ、いつも生還している。今回は腎盂炎で、バイ菌が腎臓にまで達していて厳しい状況だったらしい、どうやら母は自分で小便を排泄する力が弱まり、感染症を引き起こし、再び敗血症となったようだ。それも点滴で回復できたが、自分でオシッコを出す力が弱く、人工的にチューブを尿道につないで出してあげないと再び発症するのだという。母はすでに両足の大腿骨を骨折し、車いすに乗っている。さらに尿道にチューブをさすというが、もう86歳になる母を見て思うのは、もしこれが医療技術の発達していない一昔前のことだったなら、母はすでに命を落としていたかもしれないと言うことだ。母は何度も感染症から敗血症を発症して生死の境をさまよっているが、今のところ薬が効いて生かされている。認知症の進んだ母は入院すると混乱するのか私達のことを忘れたりする。それでも私は母に生きていてほしい。でも思うのは、昔だったら母はとっくに亡くなってしまっていたのかもしれないと思う。医療技術の進歩した今だから母は生かされているのだと思う。ただ人間としての尊厳はどうなのかと考えると疑問もあるが、それでも私は母に生きていてほしい。もしもの時は体に負担になるので延命治療はしないことに同意したが、できる限り母には生きていてほしいのである。